#ジキョリレー

世代を超えてつながる#ジキョれ

介護の現場で受け継がれてきたもの、
これから育てていくもの

介護とは何か。
40年以上続く大阪自彊館の介護が、
いま問い直す理由。
それは「身体介助の技術」だけではない。
食べる、眠る、動く、出かける、誰かと話す、
家で暮らし続ける——
当たり前の日常を、ご本人と一緒に
もう一度組み立て直していく仕事だ。
大阪自彊館の介護は、救護から枝分かれして始まった。
昭和48年、西成の地で身体障がいの現場が芽吹き、
平成7年、東淀川区にメゾン・リベルテが誕生する。
特養、デイ、ヘルプ、ケアプラン、グループホーム、
看取り——時代とともに、介護の領域は広がってきた。
それでも、変わらず受け継がれてきたものがある。
世代の違う3人が集まって語る「ジキョリレー」。
今回の舞台は介護の現場。
入職30年以上のUさん、17年目のOさん、
5年目のSさん。
それぞれの目線で、介護現場は何が変わり、
何が受け継がれてきたのか。
そして、サービスの次にある“介護の未来”を、
現場から考えるための対談である。

Uさん

入職30年以上 / 介護事業部 部長

今宮の障がい施設からキャリアをスタートし、救護、特養、在宅(デイ・ヘルプ・ケアプラン)まで、自彊館の介護領域をほぼすべて経験。法人初の育児休業を取得し、女性として初めて施設長・部長に登用された“道を拓いてきた”存在。看取り導入期の混乱も、在宅事業の赤字からの立て直しも知る。

Oさん

入職17年目 /
デイサービス グループリーダー

専門学校時代の実習をきっかけに大阪自彊館へ。特養から在宅(通所)へと現場を渡り歩き、現在はデイサービスのグループリーダー兼相談員。法人で男性職員として初めて育児休業を取得した一人。4児の父。「制度」と「現場の自由度」のあいだで揺れた経験を持つ世代。

Sさん

入職5年目 /
特別養護老人ホーム ケアスタッフ

専門学校時代のアルバイトをきっかけに大阪自彊館へ。配属直後にコロナ禍が始まり、制限の多い現場から介護人生をスタートした世代。日常介助だけでなく、行事の企画やSNSのリール編集まで担当。

「今宮」から始まった、介護との関わり

  • Uさん

    私自身は、今宮で育ったようなものなんです。新人の頃に今宮へ入り、そこから救護施設、障がいの施設、高齢の施設、在宅と、いろいろな現場を経験してきました。
    大阪自彊館の介護というと、やっぱり今宮から始まっている感覚があります。私が入った頃は、介護も救護も今とは全然違いました。制度も今ほど細かくなくて、現場の距離感ももっと近かったと思います。

  • Oさん

    僕は専門学校の実習で来たのがきっかけです。当時は、先生から勧められたこともあって、自然な流れで入職したという感じでした。最初は特養で、その後いくつか部署を経験して、今はデイサービスや相談員の業務に関わっています。

  • Uさん

    支援を始めた当初は、「支える側」「支えられる側」という関係が、どこか当たり前のようにありました。でも実際には、それだけではうまくいかない場面が施設の形も集団的だった。20人部屋みたいな環境が当たり前で、プライバシーなんて言葉が今ほど強くなかった時代です。だからこそ、救護が必要としていたのは「休める」「食べられる」「治せる」の三つ。体を壊して働けなくなった人が、もう一度立ち上がるための最低限の土台を整える。サイクルとしては、ある意味シンプルだった。利用者さんの気持ちが見えない、家族の不安が共有されない、専門職同士が分断されてしまう。そうした経験を重ねる中で、「支える」だけでは足りないと気づいたのです。

  • Sさん

    私は専門学校の時にアルバイトで入ったことがきっかけです。実際に働いてみて、職員同士の雰囲気が良かったこと、仕事に対する熱意が伝わってきたことが大きかったです。ここで働きたいと思って、入職を決めました。

昔の介護と、今の介護。変わったこと、変わらないこと

  • Uさん

    昔と今では、本当に全然違います。私が入った頃は、ちょうどノーマライゼーションという言葉が広がってきた時代でした。でも当時は、今ほど「尊厳」や「個人情報」という考え方が前面にあるわけではありませんでした。
    どちらかというと、アットホームさが中心でした。下の名前で呼ぶこともありましたし、「みんな家族」というような距離感でした。そのぶん、利用者さんとの関わりはすごく密接だったと思います。
    でも今は、やっぱり尊厳が一番大事です。制度も整ってきて、守らなければいけないことも増えました。昔はできたことが、今は制度や計画の中にきちんと落とし込まないとできない。そこは大きく変わったところです。

  • Oさん

    通所の現場でも、制度上のルールはかなり細かくなっています。たとえば、昔なら「今日は天気がいいから、少し外へ行こうか」とできたことも、今はケアプランや計画、機能訓練の目標に落とし込んで、了承を得たうえで行う必要があります。
    もちろん必要なことではあるんですが、現場としては、その制限の中で利用者さんの満足につなげていく難しさがあります。

  • Sさん

    私は入職した時期がコロナ禍と重なっていたので、「外出できない」という感覚は、制度というより感染対策の印象が強かったです。だから、最近になって少しずつ外に出られるようになってきたことの方が、むしろ自由になってきた感覚があります。
    昔はもっと自由度があったという話を聞くと、知らないことが多いなと思います。でも、今の制度や働き方も、そういう時代を経てつくられてきたものなんだと感じます。

働きやすさは、話しやすさから生まれる

  • Sさん

    大阪自彊館の魅力は、職員同士が話しやすいところだと思います。実習やアルバイトでいろいろな施設を見てきましたが、ここは職員同士の距離が近く、相談しやすい雰囲気があります。
    その話しやすさがあるから、利用者支援もうまく展開できるのではないかと感じています。

  • Oさん

    そこは本当に大きいと思います。Uさんはすごく話しやすいですし、聞いてくれます。第四事業部の強みは、そういう風通しの良さにあると思います。

  • Uさん

    もちろん、怒るときは怒りますよ。あかんことはあかんと言います。でも、それは期待しているからです。
    最近では、職員同士で感謝を伝える「いいね投票」のような取り組みもあります。日常のささいなことでも、「ありがとう」「あの介助よかったよ」と伝え合う。褒められると、やっぱり嬉しいんです。私自身も、ちょっとしたことで感謝の言葉をもらうと、「また頑張ろう」と思えます。

  • Oさん

    月に一回、よく褒められた人を表彰するような機会もあります。お菓子をもらえたりして、ちょっと嬉しいんですよね。それがあると、「次はこうしよう」と前向きになれます。

  • Uさん

    職場活性化のための費用を使って、懇親会をしたり、パートさんも含めてみんなに還元できるように工夫したりしています。正職員だけでなく、現場を支えてくれている人たち全員が気持ちよく働けるようにしたいんです。

「初めて」をつくるということ

  • Uさん

    私が若い頃は、子どもを産んだら辞めていく女性職員も多かったんです。そんな時に、当時の理事長から「一度、育児休暇を取ってみてくれへんか」と言われました。
    最初は、自分でも続けられるのか分かりませんでした。でも実際に育休を取って戻ってくることができた。そこから、子どもを産んでも戻ってこられるんだ、という流れが少しずつできていったように思います。
    その後、代理や施設長を経験していく中で、責任の重さも強く感じました。特養で看取りが始まった頃は、夜に電話がかかってきてタクシーで施設へ向かうこともあり、本当に大変でした。
    でも、いろいろな経験をさせてもらったからこそ、今があります。私自身も大阪自彊館の中で育ててもらったと思っています。

  • Oさん

    僕が育休を取ったのは、コロナ禍の頃でした。最初から取るつもりだったわけではありません。妻の家族に助けてもらうことも考えていましたが、感染のリスクもあり、家の状況を考えると自分が取った方がいいと思いました。
    ただ、最初はすんなり進んだわけではありませんでした。相談した時に、あまり良い反応ではなく、「なんで?」という空気もありました。もちろん職場に迷惑をかけることは分かっていましたが、制度としてあるものなのに、なぜ取りにくいのだろうという気持ちはありました。

  • Uさん

    私は、取ったらいいと思っていました。制度として認められているものですし、最初の一人が取ることで、次の人が取りやすくなるからです。

  • Oさん

    結果的には取ることができました。取ってよかったと思います。子どもが懐くんです。生まれてすぐの時期にずっと一緒にいられるので、お風呂に入れたり、おむつを替えたり、ご飯を食べさせたり、最初から関われたことは大きかったです。

  • Sさん

    今は育休を取って戻ってくることが当たり前のように感じていました。でも、その前に大変な時代があって、最初に取ってくれた人がいたから今があるんだと知りました。
    育休を取る前も、取った後も、周りのスタッフの接し方が変わらない。ねぎらいの言葉をかけて、いつも通り迎える。そういうところを見ると、本当にいい人が多い職場だと思います。

これからの介護は、もっと人に向き合える仕事へ

  • Uさん

    今、介護の現場は大きな過渡期にあります。生産性向上、科学的介護、ICTの導入など、国の施策もあり、現場には新しい機器や仕組みがどんどん入ってきています。
    たとえば、以前は夜中に定期的に巡回して、利用者さんを起こしてしまうこともありました。でも今は、センサーなどを活用して、起きたことが分かった時に声をかけに行くような支援を目指しています。
    リフトなどの機械も入ってきています。覚えるのは大変ですし、教えるのも大変です。でも、使えるようになれば職員の体の負担は全然違います。

  • Sさん

    本当に、この5年だけでも変化を感じます。機械を覚えることは大変ですが、うまく使えれば腰痛予防にもなりますし、利用者さんにとっても職員にとっても良いことだと思います。

  • Oさん

    在宅や通所では、できるだけ長く住み慣れた家で暮らしてもらうことが大切です。だから、何でもこちらがやってあげるのではなく、利用者さん自身ができることを続けてもらう支援が必要です。
    たとえば靴下を履くこと一つでも、こちらが手伝えば早い。でも、あえて「少し頑張ってみましょうか」と声をかけることがあります。その人がその人らしく暮らし続けるために、どこまで支援するかを考えることが大事です。

  • Uさん

    今まではルーティンで動いていた部分もありました。でも、機器や仕組みを活用することで、少しでも個別の関わりに時間を使えるようにしたい。人にしかできない関わりを、もっと大切にしていきたいですね。

利用者さんにも、職員にも、可能性を広げる場所でありたい

  • Uさん

    以前、これからのリベルテを考えるプロジェクトをしたことがあります。温泉を作りたい、作業所のような場をつくりたい、利用者さんが作ったものを販売できるようにしたい、子どもたちが集まれる場所をつくりたい。いろいろなアイデアが出ました。
    介護施設という枠だけではなく、地域の人が集まったり、子どもたちが高齢者と自然に関わったりできる場所になれば、介護への偏見も少なくなるかもしれません。

  • Oさん

    子どもたちが普段から高齢者と関わる場所があれば、将来、介護の仕事にも自然と興味を持ってくれるかもしれません。ゲームセンターでも何でもいいんです。何もないより、人が集まるきっかけがある方がいい。

  • Uさん

    実際に、施設の前にオンデマンドバスの停留所ができる予定もあります。昔、駅まで遠いからバスがあればいいねと話していたことが、本当に形になってきています。

大阪自彊館の強みは、いろいろな現場で人が育つこと

  • Oさん

    大阪自彊館の強みは、連携だと思います。施設同士、職員同士のつながりがあります。高齢だけでなく、障がい、救護、在宅など、いろいろな現場があるからこそ、知識や経験が広がります。

  • Uさん

    私自身も、いろいろな施設を経験してきました。Oさんも複数の施設を経験しています。Sさんも、これから障がいや在宅に行くことがあるかもしれません。それぞれ制度が違うので、みんな勉強になります。
    私は、職員にはいろいろな経験をしてもらいたいと思っています。介護福祉士だけでなく、ケアマネジャーや社会福祉士など、資格によっては別の現場で経験を積むことも必要です。希望があれば、他の部長とも相談しながら、その人の成長につながる道を考えたい。
    ずっと介護だけにいる必要はないと思っています。一度ほかの現場を経験して、また介護に戻ってくるのもいい。大阪自彊館には、それができる幅があります。

  • Sさん

    私はまだ経験が浅いですが、やりたいことやアイデアを形にしていける人になりたいです。利用者さんとのコミュニケーションは好きですが、計画を立てることはまだ苦手です。やりたいという思いを、ほかの職員も動きやすい形にできるようになりたいです。

  • Uさん

    Sさんは、やりたいことをたくさん持っています。そういう人が来てくれると、一緒にやってみたいと思います。
    大阪自彊館に向いているのは、人が好きな人。利用者さんを一番に考えられる人。そして、人としてきちんと向き合える人です。技術は後から学べます。でも、人を大切にする姿勢は、介護の一番大事なところだと思います。

介護の未来を、
現場からつくっていく

大阪自彊館の介護は、
救護事業から枝分かれして40年以上の歴史を持つ。
その間、時代とともにあり方を大きく変えてきた。
かつてのアットホームの時代には、
職員と利用者は家族のように近い関係だった。
やがて尊厳の時代がやってくると、

一定の距離を保つことの大切さを学び直すことになった。
次に訪れた制度の時代には、
ルールが増え自由度は下がったものの、
根拠に基づいた継続的な支援ができるようになった。
そして今、科学的介護と個別化の時代を迎えている。
センサーやリフトといった技術が身体的な負担を減らし、
職員は「人にしかできないこと」に時間を
使えるようになってきた。
時代がどれだけ変わっても、変わらないものがある。
それは、目の前にいる一人を、
一人の人間として見ることだ。
名前を呼び、表情を見て、声を聴き、時には待ち、
こらえながら寄り添う——
そうした関わり方は、
制度や技術がどう変化しても譲れない核である。
もう一つ、
自彊館には「初めて」を引き受けてきた歴史がある。
法人として初めての育休取得者、初めての女性管理職、
男性として初めての育休取得。
誰かが最初の一歩を踏み出したことで、
その後に続く人が同じ道を歩めるようになった。
利用者を支えるだけでなく、
働く職員自身の人生も支えられるよう、
自彊館は仕組みを自分たちの手で少しずつ
更新し続けてきた。
では、この先には何があるのか。
「ミライプロジェクト」で語られた構想の中には、
すでに動き出しているものもある。
温泉のある複合施設、子どもと高齢者が
交わる地域の場、施設前のバス停整備。
目指しているのは、
施設の中だけで完結する介護ではなく、
地域とつながり続ける介護のかたちだ。
答えは一つに決まっているわけではない。
だからこそ、介護という仕事は面白い。
これまでの歴史に支えられながら、
これからも現場から新しい未来をつくり続けていく。
それが今、
大阪自彊館が自らの介護のあり方を
問い直している理由である。

かつて“救う”ことから始まった福祉は、
いま“共に創る”時代へ。
医療・教育・地域・企業と手を取り合い、
支援の枠を越えた“共創の福祉”を広げていくこと
が、これからの私たちの使命です。
現場から生まれるアイデアと行動で、
社会課題に挑み続ける。
その原動力こそ、#ジキョれの精神。
100年後の未来も、“動き続ける福祉”でありたい。

募集要項 エントリー

#ジキョれ 次はきみのターン