大阪自彊館の歴史 History

明治・大正時代 大阪自彊館の誕生

【 創立時の本館 】

大阪自彊館は明治45(1912)年6月25日、大阪府警察部保安課長であった中村三徳(なかむら みつのり)によって、当時の西成郡今宮村に私立の宿泊救護および職業紹介部を併設した授産事業の施設として創立されました。
大阪自彊館の名前に冠している「自彊(じきょう)」は、中国の古典「易経」にある「天行健、君子以自彊不息」という一節から引用したもので、「ここを利用した人が、自ら勉めて励むようになって欲しい」という想いが込められています。
中村三徳は、大阪自彊館の運営全般を担いつつ、警察官の勤務も継続しており、まさに寸暇を惜しんで運営に携わっていたことが想像できます。

創立の翌年には、大阪府立天保町消毒所を無償で借り受け「築港分館」を開設しました。こちらは、広い敷地にあった18棟の建物を、宿舎・炊事場・食堂・事務所・用務員室・館員住宅・倉庫・浴場にそれぞれ割り当て、主に港湾労働者の共同宿泊所として運営しました。

大正・昭和時代 よしむら   としお 吉村敏男の着任

【 創立者・中村三徳(右)と吉村敏男(左) 】

創立を皮切りに、困窮する人々の生活向上を図ろうと次々に手を打つ中村三徳の想いを継承し、大阪自彊館を守る青年が現れました。 それが吉村敏男(よしむら としお)です。
中河内郡で神官を務める傍ら、村役場の仕事を手伝ううちに中村三徳と出会い、やがて大阪自彊館の運営に携わるようになりました。
大阪自彊館の状況、特に厳しい財政状況を知った吉村敏男は、ときに英断を下しながら事業の見直しを進めました。
また、吉村敏男は大正12(1923)年に社会事業の研究誌として月刊「自彊」を発刊しました。自らも執筆しながら、他の社会事業家達と誌上を通して意見を交わすという内容で毎号約1万部、大正14(1925)年3月までに22号(延べ20万部)を発刊しました。
ほどなくして、執筆者の吉村敏男自身が「第1回社会事業講習会」へ参加することになり、執筆作業が困難となり講習会の直前で廃刊となりました。しかし、当時は民間施設が月刊誌を発刊することは前例がなく、大きな反響を呼びました。

昭和時代 荒廃する戦後の大阪市で「保護事業」を開始

【 当時の釜ヶ崎(現あいりん地域) 】

戦後、都市部の荒廃ぶりを知ったGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、戦争による被災者への救済対策を行政側に急がせました。大阪府にも命令が下りますが、入所する施設自体が被害を受けていたために受け入れ先が限られ、大阪自彊館を含むいくつかの施設で受け入れを行うことになりました。
昭和20(1945)年10月1日から、成人男性200人を受け入れましたが、戦後、生活保護法の施行までは日本の社会事業に関わる団体・施設は、いかにして運営費用を捻出するかが大きな課題となりました。中村三徳や吉村敏男は多くの私財を費やしていますが、この時期にいただいた御下賜金・寄付金・共同募金等の恩恵は大きなものでした。

昭和時代 社会福祉法人の認可と新施設の誕生

【 昭和45(1970)年頃の本館全景 】

GHQによる占領期間の終了を迎えた昭和27(1952)年頃、日本は戦後の混乱期を乗り越え、復興への動きをみせていました。
社会事業においても福祉三法が成立し、新しい枠組みのもとで各地の施設が拡充されていきました。
大阪自彊館においても、館内施設の近代化や事業の運営体制、提供するサービス等さまざまな点を見直し、利用者の状況にあわせた事業を展開していきました。
昭和26(1951)年6月1日に社会福祉事業法が施行され、財団法人大阪自彊館は社会福祉法人大阪自彊館へ組織変更申請を行い、昭和27(1952)年5月にその認可を受けました。
こうして、社会福祉法人大阪自彊館は昭和27(1952)年5月に更生施設の認可を受けた「自彊寮」を運営することとなりました。

昭和時代 時代のニーズに対応したサービスを拡充

【 作業の様子】

創立60周年を迎えた昭和46(1971)年、吉村靫生(よしむら ゆきを)が理事長に就任しました。常に現場実践主義を貫き、館内では利用者と語り合っていた吉村靫生は、利用者の声や社会のニーズを捉えた事業をスピーディーに進めていくことになります。
この時代の事業運営において、吉村靫生が力を入れたのは「生産福祉」と「処遇改善」というものです。
入所している施設利用者に対しては、与えられるだけの「消費福祉」から脱却し、自らが積極的に作業等に取り組む「生産福祉」をめざし、法人の運営にあたっては、一般的な社会生活を営む上で必要なサービスや設備を利用者に提供し、自然な形で自立を図ってもらおうというものでした。
これらも大阪自彊館が創立時より掲げてきた「自彊」の精神と通じるものですが、まだまだ一般的には「福祉=サービスを受ける」という考え方が多かった時代であり、吉村靫生の先進的な考え方は光るものでした。

平成~ 創立100周年を迎え、次の100年への船出

【 創立100周年感謝の集い】

大阪自彊館の理事長として、また福祉関係の全国組織で要職を務めた吉村靫生は、平成13(2001)年に吉村和生(よしむら かずお)へと理事長のバトンを渡しました。
福祉業界全体も大きな転換期を迎え、なかなか先の見えない状況にありましたが、職員が話し合いを重ねることにより、時代の流れや利用者のニーズに寄り添う形で事業を進め変化に対応してきました。都市が発展する一方で、日々の生活にも困窮する人が集まっていた当時の釜ヶ崎(現あいりん地域)。目の前にある惨状に「なんとかならぬものか」と中村三徳が創立した大阪自彊館も、平成24(2012)年6月に100周年を迎えました。
吉村和生は「地域に根ざした」事業の運営により、地域と共に包括的な形で高齢者や障がいのある人たちなどをケアすることのできる体制をめざしています。
地域の中で、さまざまな支援を必要とされる方が増えていくと予想される中にあって、長い歴史を持つ大阪自彊館は、地域に根ざした社会福祉法人として、どのような役割を担い行動を起こしていけるのかを、スタッフ一人ひとりが思い描きながら、現状に満足することなく、新しい道を着実に進められるよう取り組んでいきます。

社会福祉法人大阪自彊館

100年間の永きにわたり変わらなかった「自彊不息(じきょうやまず) 」の精神をもって、常に利用者と真正面から向き合い、求められるサービスをさまざまな手法で提供してきました。その足跡は、今日においてもたくさんの人々の支えとなっていることと思います。関係各位によるお力添えがなければ、これまで携わってきた事業も成し遂げられることはありませんでした。
多くの方々の支えのおかげをもって、この100年間の歴史を積みあげることができたことに深く感謝いたしております。

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